富岡オールスターズ
チーム監督
堂上洋行

富岡オールスターズ チーム監督

1975年、神奈川県横浜市出身。幼少より父の影響で野球を始め地元の中学で軟式野球部で中学時代を過ごす。また高校進学では名将渡辺監督が指揮を執る「横浜高校」の野球部へ。日本一の練習量と質の高い指導を受け3年春の「選抜甲子園大会」に出場し控えの投手としてベンチ入り(背番号は11)。大学では東北の富士大学へ進み4年次に全日本大学選手権大会に16年ぶりに出場を果たし投手として全国ベスト8進出の立役者となる。大学通算16勝(ベストナイン1回)。社会人では軟式の企業チーム(旧東芝テスコ、現東芝電波プロダクツ(株))にて国体に出場し神奈川の代表として5位入賞。

現在の仕事についた経緯

長男が保育園の年長の時、入団させるチームを探していくつか廻った中で、道具の整理整頓、礼儀・礼節に驚きました。またランニングでは足が揃い、小学生のレベルとは思えない連係プレーを行っており、本当に鍛えられたチームで、監督さんが自ら手本を見せておりました。それも素人ではない身のこなしと、その2名の方の技術レベルの高さや指導レベルの高さに驚き、「これは間違いない!」と確信し、安心して預けられると思いすぐさま入部を決めました。実はその2名は名門「東海大相模」の主将でした。そして私が卒業した「横浜高校」の伝説の愛甲さんの翌年にエースナンバーをつけその後、三菱重工横浜で活躍された方だったのです。そしていつのまにか一回り上の先輩の命令で明日からユニホーム来て来い!と言われ、あれよあれよという間にコーチに就任させられました(笑)

仕事へのこだわり

チームの理念である「明るく、素直に、そして謙虚に!」をモットーに、子供たちが将来自立できる人間になれるよう、日々活動しています。挨拶に始まり、整理整頓、道具を大事にすること、環境に感謝する事など、その意味を伝え、実践させています。また、もうひとつ私がこだわっている事、それは努力したからこそ得ることの出来る「成功体験」です。この体験がない限り子供は努力しようとしません。「何故努力をしなければならないのか?」を説明するには成功体験を与えることが一番だと考えています。結果がまぐれでも、出会いがしらでもなんでもよいのです。試合でのキャッチ、試合での1本が、本人の意識を変えるのに一番なのです。個々の成長の為にはやはり経験を沢山させることに意識をおいています。その経験は、子供にとってはものすごく嬉しい事であり「出来た!!」という成功体験そのものです。やらされる練習ではなく自分からもっと上手くなりたい、もっと勝ちたい!と思い、自分で努力をするようになり習慣化すれば、それは野球に限らず勉強やその他、今後色々な事に活きてくると思ってます。子供によってスイッチが入る時期や年齢はさまざまです。下級生の時に入る子もいれば、6年になってやっと入る子もいます。全員一緒ではなく、その子の性格や、野球に対する意識、生活環境、親御さんの野球への意識、子供への意識で変わってきます。チームメイトでも、皆それぞれ環境で生活しています。見極めも大変ですが、「スイッチが入りそうな瞬間」を、今後も見落とさないようにして成功体験を積ませてあげたいと思っています。その体験をするため、練習量は他のチームに比べても多いほうだと思います。下級生は野球に慣れ親しむ事を中心に、楽しく基本を身に着けしっかり、基本を習得することを目的としています。

これから社会に出る若者へ

小学生にとって、難易度が高いことを教えていると感じることもあります。ただ私は、「知っている事は全て教えよう、伝えよう」と思っております。歴代の監督もそうでした。今わからなくても、野球を続けていればいつか役に立つ時、思い出す時がくるという考えでやっています。野球も、技術や理論など年々進化しています。私が高校と比べても、だいぶ変わりました。チームでも、社会人選手、元プロ野球選手、他チームのシニアボーイズなど、色々な方の指導方法を参考に取り入れています。何故なら指導方法や理論に正解はないからです。「富岡オールスターズはこれだ!」と言うやり方に固執せず、良いものは取り入れる方針です。しかしながら、今も昔も変わらないものは固持し続けております。出来る限りその子にあった指導方法で、引き出しを増やしてあげたいと思い、監督の私は当たり前ですが、スタッフも皆、日頃から野球を勉強してくれています。チームの門を叩いて頂けるお子様や御家族方が少しでも増えていく様に、開かれた地域の少年野球部であり続けたいです。また微力ながら健全な青少年の育成に野球を通して、少しでも力になれるよう今後も努力していきたいと思っております。