S_湯川リウマチ
院長
湯川宗之助

湯川リウマチ内科クリニック 院長

リウマチ専門医へと進んだきっかけ

東京医科大学を卒業し、そのまま同院に研修医として勤務することとなりました。当時の研修医は、スーパーローテーションといって、全ての科を回り、様々な経験を経てから入局を決めるという制度でしたので、多くの経験を積むことができました。
その中でリウマチ科にて研修をしていたある日、20歳の女性患者と出会い入局を決意しました。その方の手は、鉛筆も満足に使えないほど酷く変形しており、その様子を目の当たりにした時に大きな衝撃を受けたのです。
「もし自分がこの方の父親だったなら」と思うと、胸が締めつけられる思いでした。当時、リウマチ膠原 病は不治の病とされていました。この時、なんとかしてこの難攻不落な自己免疫疾患に光明を射す一助になれればと、生涯を賭けてリウマチ膠原病に向き合うという覚悟を決めました。 その後、東京医科大学病院第三内科で7年間、リウマチの専門医として経験を積ませて頂き、産業医科大学病院第一内科にて、リウマチ医療の世界的権威である田中良哉先生の元、6年間勉強させて頂きました。

リウマチ医療の啓蒙に対する想い

一般の方々にリウマチ膠原病というものを啓蒙していきたいという思いから開業する事を決意。2015年に 湯川リウマチ内科クリニックを開院しました。
大学病院で勤務している以上、どうしても臨床・研究・教育に重きを置いた活動が主になります。臨床と診療が中心の開業医の方が、一般の方々にリウマチ膠原病というものを啓蒙していくという目的に沿った医療が提供出来ると考えたからです。ここ10年、15年で、リウマチ医療にはパラダイムシフトが起こっています。今までのリウマチ膠 原病は「一度かかったら一生治らない」、「高齢者の方々が温泉に浸かる」そんなイメージがあっ たと思います。もしかしたら、今でもそのようなイメージを持たれている方も多いのかもしれませ ん。しかし現在、その常識は180度変貌を遂げています。不治の病と謳われたリウマチ膠原病は、 日常生活に支障のない「寛解」を目指せるようになりました。
私の身近な親族で、4歳でポリオを発症してから車椅子生活を余儀なくされた方がいます。今では、ポリオという病名を聞く機会すらも減りましたが、かつて、ポリオは肢 体の自由を奪う不治の病として、大変恐れられた病気でした。日本からポリオが撲滅に至ったの には、国が予防接種を徹底的に啓蒙していった事が背景として挙げられます。
リウマチ膠原病に関 しても、ポリオのように正しい診療をより啓蒙していくべきであると考えています。 現在、リウマチ診療は、幅広い選択肢の中から、選べるようになりました。医師と患者様が対話を持って、共に診療を作り上げていく事が、大切であると考えられています。患者様ご自身も、 リウマチ膠原病について正しい理解を深め、疑問に思った事は医師に相談し、一つ一つ解決することが重要であります。ご自身に合った適切な診療により、日本からリウマチで苦しむ方が、一人でも少なくなる事を、 私は望んでいます。またその一助になるべく、これからもリウマチ専門医として、今後も研鑽を重ねていきたいと考えております。