ケントモリメイン
ダンサー
ケントモリ

1985年、愛知県生まれ。2006年、単身渡米。2007年、プロダンサーとしてエージェント契約を果たし、本格的に活動を始める。2008年 アーティストビザを取得し、NBAハーフタイムショーでのパフォーマンス、 マドンナのワールドツアーダンサーに抜擢され世界中を周る。2009年、マイケル・ジャクソンの専属ダンサーに選ばれ、2年契約を交わすもマドンナとの契約中のためそれを断念。マドンナのワールドツアーにて、マイケル・ジャクソン本人に扮して会場を沸かせた。

マイケルが僕の人生を変えた

Billie Jeanを中学一年生の時分に聞いたんです。そこから全てが始まりました。大袈裟な表現ではなく、僕の人生はそこで変わったんですよ。
曲が流れはじめて、僕はジっとしていられなくなった。体が自然に動きだすんですね。
それからはマイケルの虜になりましたね。どうして彼の音楽がこうも僕をアツくさせるのかは分からなかったけど、とにかくマイケルにのめり込んだ。
「マイケルと踊りたい」っていう夢も、自然に持つようになって・・いや、夢っていうよりも、目標ですかね。その時自分が考えうる「最高」をイメージした時、マイケルと踊るっていうことが、当時の僕の「最高」だったんです。
とにかく彼がいなければ僕は今こうして喋っていることはない。それは断言できます。

ケントモリサブ

19歳、ケントモリの決意

ダンスの本場であるアメリカに行ったのは自然な流れでした。やりたいことは自分で決める性格だったし、服だって着たいものを周りを気にせず着てた。だから、ダンスがやりたくてアメリカに行くっていうことは、僕の中では特に大きな決断ではなく、自然だった。
厳しい環境に身を置いてたけど、ストレスは感じていませんでした。オーディションは多くあったけど、その中から自分なりに選んで、そこで最大限のパフォーマンスをする、っていうことに集中しました。
渡米して2年。一つのチャンスに巡り会うことが出来ました。マドンナのワールドツアーのオーディションに合格したんです。

僕の中にある「何か」を見出してくれて合格に至ったとは思うんですが、その時僕は「何人かいるうちのダンサー」ではなく、「ケントモリ」っていうダンサーとして認められたかった。自分を証明したかったんですね。それが叶った大きなチャンスでした。
その後、マイケルのツアーオーディションに参加して合格を頂くわけですが、今でも言えますが、書類審査で3万人以上が応募した中、僕の一番想いが強かったと思います。
オーディションに参加して、最終選考に残るダンサーなんかは皆、マイケルを尊敬して、愛してやまない人達ばかりだと思います。それでも、僕が一番想いが強かったと思っています。合格の瞬間は、今でも僕の心に輝く思い出ですし、忘れることがないでしょうね。

ケントモリサブ2心が叫ぶように、踊っていた

結局、マドンナとの契約もあってマイケルと踊ることは叶わなかった。だけどマイケルが亡くなった後、マドンナから「私のステージでマイケルを踊って」と言われたんです。リスペクトする2人に見守られ、自分のダンスが出来る。こんな幸せ後にも先にもないですよ。
もうあの時は無我夢中で踊りました。僕自身、踊っている時に何を考えてたか全く覚えていなんですけどね。歓声が大きすぎて、無音にも聞こえるくらいの幻想的なステージで、僕は叫ぶように踊っていたことは覚えています。
なんていうか、あのステージ以来考えてたんですが、あの場所に立てたことは、僕の想いが色んな部分と繋がって起こった奇跡のような出来事だと思うんです。

ただ一つだけ言えるのは、中学生の時に初めてマイケルを聴いてから、僕は「本気」であの場所を目指していたし、それに向かって努力したと思ってます。命を懸けたし、どんな苦労も厭わなかった。
様々な経験をさせてもらって感じたことですが、やっぱり一流と言われる人たちは、
自分が勝負をかけたことに対して、死んでも言い訳をしませんね。言葉通り命をかけて自分の想いを貫き通してます。
僕も、一生に一回の自分の人生、やりたいことをやりたいし、それに対して一生懸命でいたいと思っています。これからも。